「みんなの党」論②~みんなの党結党~

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 あまり皆さんにとっては興味関心がないと思いますが、5回シリーズで書こうと考えています。
 私自身にとっては一度総括すべきテーマだと考えておりますので、しばし御付き合いの程を。

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 2007年、第一次安倍晋三政権は窮地に立っていました。
 松岡利勝農林水産相(自殺)、佐田玄一郎元行政改革担当相(後任は渡辺喜美先生)、赤城徳彦元農林水産相が「政治とカネ」の問題で辞任し、久間章生防衛大臣、柳沢伯夫厚生労働大臣が不適切発言で辞任するなど激震が走り続けました。
 遂に2007年9月安倍晋三首相が体調不良のため総辞職し、福田康夫政権へと引き継がれ、解散総選挙による挽回を図って、世間で人気を博していた麻生太郎政権が2008年9月24日に発足しましたが、前後してリーマンショック(2008年9月15日)が発生し、解散総選挙の時機を逸した形となりました。

 年を越して1月13日、渡辺喜美先生が自民党を離党。2月11日に「国民運動体」を無所属だった江田憲司先生と共に発足させ、松下幸之助氏の薫陶を受けたPHP総合研究所社長の江口克彦先生や、評論家の堺屋太一氏らの後援を受けて、全国でタウンミーティングを重ね、機運醸成を図っていきました。公募による新しい政治団体名を「国民運動体 日本の夜明け」としました。「日本の夜明け」は坂本竜馬のセリフとして有名です。

 「国民運動体 日本の夜明け」の政策は以下の通りでした。

1. 官僚の天下り(税金のムダ遣いの元凶)を全面禁止 「渡り」あっせん、「各省庁個別あっせん」の即時全面禁止 人材バンク(官民人材交流センター)の時限的廃止 早期勧奨退職慣行の撤廃と定年まで働ける人事制度の確立 給与法の抜本改正による「年功序列賃金」の見直しと総人件費削減 公務員の労働基本権制約緩和による民間並みリストラの実施 第三者による監視機関の設置(違反者に対する罰則規定、厳罰の徹底)

2. 特別会計等の埋蔵金を一円残らず発掘(30兆円~50兆円) 埋蔵金御三家(財政投融資、労働保険、外為特会)の剰余金、準備金の拠出をはじめ、特会の資産・負債差額の徹底的精査 国有財産・政府株の売却等

3. 国会議員や国家公務員数の大幅削減・給与カット 衆議院議員は300人(比例代表を廃止180減)、参議院議員は100人(142減) 国家公務員を10万人削減(道州制と地方ブロック機関の廃止等。現在33万人) 国会議員給与3割、ボーナス5割カット。公務員給与1~2割カット

4. 独立行政法人の原則廃止・民営化、公益法人の抜本改革 天下りの温床となっている独立行政法人、公益法人等は原則廃止。廃止できない独立行政法人は原則民営化。公益法人の必要性をゼロベースで見直し。

5. 官製談合の撲滅、随意契約・指名競争入札の廃止・監視強化 天下り先での談合防止のための「官製談合防止法」の強化(官僚OBへの適用対象の拡大等)。公正取引委員会の官製談合に係る権限強化 随意契約・指名競争入札の一般競争入札への原則転換。やむを得ず行う場合、その理由、契約相手方における天下りの実態等の情報公開の義務づけ。

6. 内閣人事局(官邸)による幹部人事の一元管理・総合職の一括採用政治主導確保のための幹部人事を官邸で掌握 「オールジャパン」の意識を持った官僚の養成。縦割り行政の排除 民間人(外部人材)をトップに、民間人事エキスパートを多数登用 局長以上の幹部官僚は一旦退職。特別職としての時限採用。国家戦略スタッフやポリティカルアポインティー(政治任用)として政治家、民間人等も登用 官僚の政策失敗に関する責任追及の仕組みの構築

7. 内閣予算局(官邸)による予算編成権(カネ)の掌握 財務省から予算査定、財政投融資、税制企画立案業務等を分離し、官邸に「内閣予算局」を置き、政治主導の予算編成を実施。予算をゼロベースで見直し 社会保険庁を解体し国税庁と統合。将来的には地方税の徴収事務も一元化し、「公租公課庁」を設置。税と社会保険料の徴収率向上と人員減の一石二鳥。

8. 政治家個人への企業・団体献金(政治腐敗の元凶)の全面禁止 政党支部の完全廃止。企業・団体献金は政党本部のみ(細川内閣時に政党助成金を導入した時の国民との約束を履行)。政治家と利権・圧力団体の癒着打破。

9. 国民生活、地域重視のための地域主権の確立と道州制の導入 基礎自治体(市区町村)へ3ゲン(権限・財源・人間)を移譲。立法、課税等の自主権と住民自治の確立。 各省庁「ひも付き補助金」と地方交付税の廃止。新たな自治体間の財政調整措置の導入 10年後を目途に「地域主導型道州制」へ移行。 国の役割の限定

10. 以上により霞ヶ関(中央省庁)を解体 中央省庁(霞ヶ関)は、外交・安全保障(食糧・エネルギーを含む)、財政・金融、社会保障等のナショナルミニマム等だけ残し再々編。「脱中央集権」を実現。


 政策新人類として公務員制度改革や金融改革を進めてきた渡辺喜美先生、橋本龍太郎首相秘書官時代から中央省庁改革と規制改革に執念を燃やしてきた江田憲司先生、また戦前からあった道州制議論を2003年小泉純一郎政権による道州制検討の開始以後に行われた道州制度の議論において、渡辺喜美道州制担当大臣時代に「道州制ビジョン懇談会」の座長として中間報告を行うなどした江口克彦先生(1968年改めて「廃県置州論」で展開した松下幸之助氏の系譜を受け継ぐ)が結集して、「この国のかたち」を抜本的に変えようと試みた取り組みだったと思います。

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 第45回衆議院議員総選挙(2009年8月18日告示、8月30日執行)の直前8月8日に民主党を離党した浅尾慶一郎氏、自民党を離党した山内康一氏、広津素子氏と渡辺先生、江田先生の5人が集まり、「みんなの党」を結党しました。

 「みんなの党」の以下の結党宣言にあるように、「国民運動体 日本の夜明け」の流れをそのまま汲むもので、脱中央集権(地域主権・地方分権)、脱官僚(公務員制度改革と国民主権)、生活重視(消費税反対など)を軸とするものでした。

「結党宣言」
 今、日本は分水嶺の上に立っている。
 来るべき総選挙は、この国が、世界一の少子高齢化の重圧をはねつけ、再び活力を取り戻して豊かな未来を切り拓いていけるのか、それとも、国民不在の、利権や既得権益のしがらみにどっぷりと浸かった自民党政治を続けていくのか、が厳しく問われる歴史的な選挙となる。
 我々は、当たり前の自由社会、当たり前の民主主義、当たり前の国家を希求する。しかるに、日本の国家経営の歪みは、自民党政権下で持続不可能な極点に達した。霞が関が、政治をコントロールする「官僚内閣制」、地方を支配する「中央集権体制」、民間を統制する「天下りネットワーク」。これらの「戦後レジーム」が劣化し、国家衰亡の根本原因となっている。
 こうした中で我々は、まずは、非自民勢力を結集し、総選挙で少なくとも「政権交代」を実現したいと考えている。長年 続いてきた自民党と霞が関・官僚との「腐れ縁」を断ち切るだけでも、秘匿された情報や隠された財源等が明るみになり、この国の政治・行政は一変すると信じるからだ。
 ただ、我々は、「非自民政権」の樹立だけでは満足しない。政権交代して民主党中心の政権になったからといって「バラ色」か? というとそうではないからだ。今の国民の「自民党には不満がいっぱいだが、民主党には不安がいっぱい」、すなわち、そんなにお金をばらまいてこの国の将来は大丈夫なのか、公務員労組依存で公務員の削減や給与カットなど行政改革関連のマニフェストが本当に実現できるのか、自民党以上に党内バラバラで官僚主導の政治は改まるのか、外交・安全保障政策で一本化できるのか等々の懸念が尽きないからだ。我々は、こうした不安や懸念をもつ有権者の受け皿が必要だと考えている。そして、自民がどうした民主がどうしたという次元を超えて、「政治そのもの」を変えていきたい。
 そのためにここに、我々は、特定の業界や労働組合に依存することなく、一人ひとりの国民に根ざした政党、「みんなの党」を結成することとした。この、しがらみのない立場から国民本位の政治、改革を断行し、真の「国民政党」たらんと決意している。
 我々「みんなの党」は、今の「政党政治」は「ニセモノの政党政治」だと考えている。同じ政党内でありながら考え方が違い、議員同士が足を引っ張り合う中で、最後はその間隙を縫って官僚が出てきて、足して二で割る当たり障りのない、さして効果もない政策しか打ち出せない。こうした「寄り合い所帯」化した今の政党政治では、いつまでたっても、この国に「夜明け」は来ない、「官僚の世」を終わらせることはできないと考えるからだ。
 したがって、我々「みんなの党」は、政権交代後の更なるステップとして、今の政党政治を整理整頓して、政治理念や 基本政策ぐらい一致させた「真っ当な政党政治」の実現、すなわち、「政界再編」を究極の目標とするものである。
 我々「みんなの党」は、このため、「脱官僚」「地域主権」という理念、政策の旗印
を大きく掲げて、今後、この政界再編の荒波の中で、政党横断的に改革派を糾合する「触媒政党」の役割を果たしていけたらと思う。
 そして、真の「脱官僚政権」を樹立し、「官僚国家日本」を変える、国民の手に政治を奪還する。「増税の前にやるべきことがあるだろう」という国民の声に真摯に応え、日本の「病巣」たる官僚の天下りや既得権益、政治家の利権を根こそぎにする。そうした「改革」を断行し、税金を国民の手に取り戻し、それを医療・介護、年金、子育て、雇用等の国民生活に充てていく。そうすることで、主権者である国民が主役の、「生活重視」の当たり前の政治を実現していく決意である。                                       2009 年 8 月 8 日

 非常にアツい檄文に似た文章で、今あらためて見ても心を揺さぶられます。
 2016年現在、みんなの党が掲げた政策の幾つかは実現したものの、国民の手に政治を奪還することができているのだろうか?とも思います。

 2009年8月30日執行の総選挙において、みんなの党は5名(渡辺先生、江口先生、浅尾氏、山内氏、柿沢氏)の国会議員を維持し、政党要件を満たすことになりました。

 このあと2回に分けてみんなの党の隆盛期と、みんなの党の衰退期から解党に至るまでのプロセスを追い、最後に一総括を行いたいと思います。


大津市議会議員 藤井哲也拝







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