72回目の終戦(敗戦)の日。

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 本日は72回目の終戦(敗戦)の日です。
 国や子ども達(私の親世代)のために犠牲になられた皆様をお悼み申し上げます。
 
 私が生まれた1978年は第2次世界大戦終結から33年が経ち、物心がついた1980年前半には、もう「戦後」の雰囲気はありませんでした。それよりも80年代後半からのバブル経済とその後の長いデフレの時代を生きてきて、戦争を実感することはなく、テレビで報道される湾岸戦争や米国同時多発テロ、そしてイラク侵攻などは遠い国のように感じます。

 しかし奇しくも北朝鮮を巡る情勢が慌ただしくなっており、具体的な戦争リスクを感じるようになってきました。1994年の北朝鮮の核開発疑惑の際の戦争リスクくらいまで上がってきたようにさえ思います。北朝鮮が一線を超えないように祈るばかりで、日本をはじめ中国やロシア、米国による禁輸政策が結実することを願っています。何よりも北朝鮮国民が自ら体制転換を行い、平和な地域安全保障状況が生み出されるのが一番だと思います。どこの馬の骨とも分からない人物が将軍様とか委員長になって敬わざるをえない状況をなんとも思わないのでしょうか。
 そういえば、第2次世界大戦というか、アジアに限っては大東亜戦争が生じたきっかけは日清・日露戦争による朝鮮半島・遼東半島・満州の利権をめぐる日米露の対立が生み出したものだと振り返ります。北朝鮮の体制を潰そうと思えば、すぐにできると思うのですが、それを為さないのは、結局、周辺諸国の意向によるものであり、北朝鮮を一種のグレーゾーンとして均衡安定状態を図ろうとする思惑があるからだと思います。
 しかしこの状態が今後いつまで持つかはわかりません。少なくとも自分たちの世代で新しい安全保障秩序を確立し、子供世代には先の戦争のことは整理して、引き継いでいきたいと思います。

 この数日、久しぶりに自分の時間を持つことができています。
 先日観た「海賊と呼ばれた男」は良かったです。これからの自分のキャリアのあり方を考えています。


* * *

 8月8日に日本を襲った台風は各地で様々な被害をもたらしました。
 幸い大津市においては、大きな災害は見られなかったものの、山中越えルートが一時的に通行止になるなどの被害が生じました。
 また、地元真野の皆様が、行政に対し署名運動までされて心配されていた新堀川も、今回はなんとか被害が最小限に収まったと思います。前回の大雨時には近隣の家屋の床下浸水がありましたので、今回は事前に議会局と行政両方を通じて万全の対策を講じてもらうようにお願いしておりました。堅田内湖の自動開閉水門と直接リンクして生じる問題で、今後はより根本的な対策を行政に求めていかねば、またいつか同じ災害が起きてしまうと感じています。地域の切実な思いをなんとか解決していきたいと思っています。


(新堀川・台風通過直前)


 8月9日。15時から本会議場で開催の「監査制度のあり方」に関する議員研修会に参加しました。普段温厚な新川達郎同志社大学教授が、語りは穏やかでしたが結構踏み込んでお話しされていました。個人的にはかなり意義ある研修会でした。よかったです。




 8月10日。生活・産業常任委員会が開催され、びわこ大津競輪場跡地の活用について、大和リースと基本協定を結ぶことなどについて報告があり、傍聴させて頂きました。関連議案が9月議会に提出予定であることから、それまでに協定を結ぶことに若干疑問を抱き、委員外質問の機会を頂きました。委員会終了後に、私の質問に対する執行部の答弁に誤りがあったことが判明し、現在、答弁訂正を求めているところです。


大津市議会議員 藤井哲也拝







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